節分
- ゆくるん
- 2021年2月2日
- 読了時間: 4分
更新日:2021年2月9日
こんにちは、ゆくるんです。
本日2月2日は「節分」、
そして明日2月3日は、二十四節気の「立春」入りです。
実に37年ぶりに、節分の日が2月3日でなくなるのです(前回は2月4日)
そして、「2月2日」が節分になるのは、1897年2月2日以来、なんと124年ぶりのこと!
そもそも節分ってなんだろう
「節分」とは、その文字のとおり、季節の分かれ目のこと。
昔は年4回、立春、立夏、立秋、立冬それぞれの前日をさしていたそうです。
それが次第に立春の前日だけをさすようになりました。
こうした時期には疫病がはやり、災いをもたらすと考えられていたことから、邪気を払うために節分の行事は行われており、それが豆まきの由来と言われています。
疫病退散。
今年は本気で願いたいですね。
ちなみに旧暦では、節分が大晦日、立春がお正月だったそうです。
大阪では昨夜、しっかりと雨が降りました。
まさに浄化の雨、、、といったところでしょうか^^
こういった節目は運気の流れも変わりやすいそうです。
また、節分の日は鬼が入ってきやすい日ともされています。
昨年は鬼滅の刃が流行った影響で、みんなが鬼鬼言っていてなんだか鬼に親近感がわきました。
でも、そもそも鬼って何なのでしょうね。
なんで入ってくるの?
調べてみると面白いことがわかりました。
鬼とは未知の可能性を外から持ち込んでくる存在
禍をもたらす悪の代名詞のように語られることの多い鬼ですが、実は村を守る神様的な存在として崇める場所もあります。
例えば、青森県の古津軽。
古津軽にある鬼沢という地域の節分のかけ声は、
「福は内!鬼も内!」。
鬼沢にとって鬼は恩人。豆まきをやらない家も多くあって、鬼は払うのではなく、感謝をおくる対象となっています。面白いですね♪
語源をたどると、鬼とは「隠(おぬ)」が転じたもの。
隠(おぬ)とは、「目に見えないもの」という意味。
自分の認識できる領域の外側にいて、はっきり目には見えず、うごめくもの。
そこから転じて、隠(おぬ)とは、『よそもの・外からやってくるもの』という意味を持ち、共同体の安全を揺るがすもの、として扱われました。
共同体に害を及ぼす場合は、邪悪なものとして排除され、
福をもたらす場合は、稀人(まれびと)という神様として崇められます。
つまり、鬼とは、外側から未知の可能性を持ち込んでくる存在。
それが人間の解釈次第で、時には邪悪な存在になったり、神様みたいな存在になったりするけど、元々は表裏一体の存在というわけです。
大人の豆まきは「福は内!鬼も内!」
内側の鬼を福に変容させる
鬼を外側に見て追い出すために「鬼は外!」
外側から福がやってくるのを願って「福は内!」
子どもにとってはこれが正しい。
理性の発達段階にいて、まだ善悪の境目が出来上がっていない彼らにとって、鬼は外にいる怖ーい存在、でいいのです。
しかし、理性が育ち、世の中の(鬼の)二面性が理解できる大人には、
「福は内!鬼も内!」を推奨してみたいと思います!笑
まさに鬼とは、自分の認識の限界の外にあるなんだかよくわからない怖いもの、と感じました。
怖いもの。みたくないもの。おぞましいと思うもの。イライラするもの。
これら、自分の安全を揺るがす「自分に関係あると思いたくないもの」シリーズは、自然に過ごしていると他人に投影され、自分の元から追い出してしまいます。
でも実は、自分にとって大きな可能性の資源だったりするのです。
”禍転じて福となす”
ということわざがありますが、禍(共同体を揺るがす悪魔的な鬼)と出会ったとき。
自分には関係ないと追い払うのではなく、“そこを入り口として”
ちょっと嫌かもしれないけど、自分にも関係のあるものだと一度受け止めてみる。
そうすることで、福(稀人という神様)へと変容させることができる。
それが大人の節分ではないでしょうか。
つまり、
鬼を外側に探して追い出すのが子どもの節分だとしたら、
内側に見つけて変容させるのが大人の節分、
ということ。
ぜひ皆さまも楽しんでみてください♪♪
今回はちょっと長くなりましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございます!
ふくはうち。
春が福を乗せてきますように***
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